2012年5月13日

感謝しかない

母の日ということでもないが、先日目にしたオリンピックPR用のこんな動画があった。

それが当たり前だとついつい思ってしまうことがある。
お腹が空くとごはんが出てきて、
洗濯物を出すと綺麗に洗われていつの間にかクローゼットに並んでる。
「人生は1度きり」と同じくらい忘れがちなことである。
今日の献立を考えること、明日のお弁当を作ること。
世の中にこんなめんどくさい事はない。
自分も親になるまでは、そんな苦労なんかこれっぽっちもわからなかった。
かといって今、自分がやっているかというとそういうわけでもない。
今でも気がつくと準備してある、ということがほとんどだ。
その日々の当たり前さには、心からの感謝しかない。
うまくは伝えられないけど。

数日前、千秋ちゃん(失礼)に、Twitter上で取り上げてもらった、たまたま書いたマジメな記事のおかげで、アクセス数が激増した。
だからというわけではないが、いや、完全にいいことを書かなきゃと充分意識してまた書いてしまった。
これからは、できるだけ下らないことを書こうと思う。

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2012年3月28日

6回目の春

娘が小学校を卒業した。
6年前の春、ちょうど桜が満開の中、入学式に向かった。
教室に入って自分の席に着き名前を呼ばれて返事をする。タダそれだけの事に胸が熱くなった。
小学校までは自宅から直線で300メートほど、目をつむっても行ける距離だったが、最初の頃は心配で仕方なかった。
3年生までは学童保育にお世話になった。
ここでかなり集団生活というものを学んだと思う。
そして、4年生からは習っていたピアノもバレエもすっぱりと辞め、塾に通い始め中学受験に挑んだ。
あっという間の6年間。
入学式の頃の写真を見るとまだ歯が生えそろってない、身長も自分のヘソくらいまでしかなかったのが、今では肩の位置まで伸びてきた。時々後ろ姿を母親と間違うようになってきた。
体より大きかったランドセルも、6年生になると窮屈そうに見えた。
いつの間にか大きくなったのものだと思っていたが、
卒業式の数日前にわかったことがある。
ランドセルの背負う部分のベルトを6年間一切調節してなかった。
どうりで窮屈そうに見えたわけだ。
娘の性格をよく表してる出来事だ。
そして、これからまだまだ大きくなっていく。


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2012年2月 6日

戦いは終わった、平穏な日々が戻る

娘の中学受験がようやく終わった。結果、どうにか志望した学校に合格する事が出来て、本人はもちろん、親としてもホッと胸をなでおろした。
思えば4年生になった頃から塾に通い始め、一番遊びたい時期に全てを犠牲にして本当にここまでよく頑張って来たと思う。親バカながら感心する。

正直、中学までは近所の区立でいいだろうと思っていたので、受験すると聞いたときはちょっと驚いた。周りの環境の影響もあってか、奥さんが意外にも熱心になり娘につきっきりで受験体制に突入した。
特に反対もしなかったが、日々勉強に打ち込む姿を横目に自分はほとんど関心がなかった。というより、とても手に負えるようなものじゃないかなり高度な問題で何も出来なかった。
イヤだったらいつでもやめていいと娘には言っていたが、本人は嫌がることなく自分の意志で最後までやり通した。

しかし、つくづく日本の受験勉強は、ある意味技術だと思った。いい点数を取ったもん勝ち。その点数を取るための技術を習得したもん勝ちだ。そう痛感した。
そんなものに何の意味があるのか、今の年齢で学ぶべきものは他にもあると思いながらも、具体的に何か提示できるわけもなく、現代の教育体制に真っ向から反発する勇気もなくて、結局は頑張れと見守るしかなかった。
ほとんど他人事で過ごしてきたが、さすがに今年に入って受験日が間近に迫ってくると、こちらも次第に緊張してきて、2,3日前からは胃のあたりがジクジクする感じだった。自分が手がけた舞台の初日を迎えるよりも何倍もの緊張感があった。
そしていよいよ本番の日を迎える。親は落ち着かない気持ちを必死に抑えていたが、本人はいたっていつも通り。まあ、そんなもんだ。

驚いたが、今は、試験を受けたその日にうちにパソコンで結果がわかる。
発表の日、外で仕事をしていたら、時間になって結果を知らせるメールの着信が。
あえて仕事が終わるまで開かずに、一人車に乗って深呼吸をしてゆっくりと開いた。
娘からの文面に、スマイルマークが並んでいた。
思わず「よし!」と、普段滅多に出さない大きな声で叫んでいた。

次の日、念のために奥さんが掲示板を実際に確認しに行った。
合格番号を携帯で写真に撮り待ち受けにしていた。
聞いた話では、その発表会場では悲喜こもごものドラマがあったらしい。
その学校以外絶対行きたくない!と泣き崩れる我が子を慰める母親の姿もあったという。
わずか12才、そんな思いをしなくてはならないのか、これが教育のあるべき姿なのかと、また思う。
しかし、子供は大人が心配するより順応力があるんだろう。
学校に行っても、おそらく教室では、様々な結果を受けて、友達同士お互いに微妙な気遣いもするのだろう。本当に大変だと思う。
親としていろんな感情が交錯する。
とにかく努力すれば報われる事を身を持って体験し、自信にもつながった事はよかつたと思う反面、少しうまく行きすぎて挫折を経験出来なかったとも。ああ、とにかく複雑な心境だ。
でも、まあ、とにかく、ほんとに、無事に終わってホッとした。

それにしても、合格したら次の日まで入学の意志を示さなければ無効になるという取り決めは、なんだかなぁと思う。まあ私学はそれで成り立っているから仕方ないか。


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2012年1月11日

頭の中のホテル

最近は受験勉強に没頭してる子供が、いつだったかふと言った事を思い出した。
頭の中にホテルがあって、そのホテルには、友達の部屋、勉強の部屋、テレビの部屋というのがいくつもあり、順番に訪ねていくというのだ。おそらく、頭の中に浮かんでくるものを本人なりに整理してるという事なんだろうが、何とも子供らしい発想で唸ったものだ。
大人になったら、もしかしたらあと2、3年したらもうそういう考えもしないのかもしれない。
頭の中では自由で限りがない。
こういう発想を年を重ねても失わないようにするには何が必要なのだろう。

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2009年3月14日

巣立ちの時

娘が通う学童保育クラブの卒所式が行われた。
思えば、「うちむら ちち」とガムテープの名札を胸に付け臨んだ入所式からあっという間の3年。ピンポン球を息で吹いて転がしていくという大人としては恥ずかしいゲームをやったのが、ついこの間のようだ。
卒所していく3年生が1人ずつ想い出を読み上げ、クラブの先生からもひと言感想があり、母親が子供へメッセージが送る。そんな光景が続く。母親はもちろん、読み上げる途中で声を詰まらせる子どもたちもいる。9才にして別れの辛さを味わってる姿はたまらない。ファインダーを覗く自分の目もウルウルとしてくる。中でも、日頃、活発でいろんな意味で目立ってた子の涙には、特別にグッとくるものがあった。
その顔を見ていて、中学の時の卒業式を思い出した。
卒業式が終わって教室に戻って最後のホームルーム。担任が、生徒全員の卒業文集を読み上げ始めた。半ば儀礼的な感じで進んでいたが、我がクラスで当時何かと問題の多かった女の子の文章を読み始めた時だった。突然、担任が声を詰まらせ号泣し始めたのだ。担任はそのまま廊下へ出て行きうずくまって泣き続けた。この後どうするんだと教室の空気がしばらく止まっていたが、その後、ドラマみたいな出来事が起こる。なんと、クラス委員だった男がその続きを読み始めたのだ。誰に言われたわけでもなく。まさに金八先生のワンシーンのような奇跡の瞬間だった。拍手こそ起こらなかったが、最後の日にクラスがひとつになった瞬間だった。その時のクラスメートとは、今でも付き合いが続いている。

子どもたちの泣いてる顔もよかったが、最も印象敵だったのは、ほとんどの子が涙を見せる中で、終始ニコニコと笑っている子だった。ほんとうに楽しくてうれしそうな、まさに天真爛漫という表現がぴったりの笑顔だった。この子の笑顔は、きっとこの先も回りを幸せな気持ちにしてくれるんだろう。
子供の成長はほんとに早い。自分はこの3年でどうだ?何かが変わったのか?
日々を大事に生きて行こう。そんなことをふと思わせる春の1日。

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2009年2月15日

Birthday

バレンタインの翌日は奥さんの誕生日。
なので、この時期はバレンタインよりもそっちの方が気になる。
昨日もこれといってもらわなかったし、本人も何もなくていいと殊勝な事を言っていたが、せめて気分だけでもとケーキを買いに行くことに。
以前から少し気になってた武蔵小山にある店「patisserie de bon coeur」へ。
わかりにくい場所にあり、およそ外からはケーキ屋さんとはわからない。中に入ると薄暗い倉庫の中にケーキが並ぶショウケースだけが浮かんで見えていると言った感じ。
地下はカフェになっているらしい。
残念ながら店員さんの応対があまり好感が持てなかった。気のせいかな…。
いつもこういう店に来て思うことだが、もし、まずかったらただじゃおかねえと。
でも、食べると想像を軽く超えるくらい上手いので何も言えなくなる、毎度。

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2008年12月24日

イブの夜は早く寝る

クリスマスイブの夜くらいは家族と食事をせねば。
最低限の家族長の勤めと何とか今年もケーキを予約し早めに帰る。と言っても8時過ぎていたが。
いつものようにモンサンクレールのケーキとパンとチキン。
ろうそくを立て証拠の写真を撮ったら、ムードも何もすぐに食べ始める。
ま、こんなもんでしょう。

また今年も娘がサンタさんに手紙を書いていた。
どうやら国際サンタクロース協会公認のパラダイス山元さんが日本を回ってるということらしい。
今年もサンタさんに会わないように早く寝てねと言われたので、何とか会わない時間に寝ることにしよう。


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2008年8月31日

無事で何より

出かけていたはずの奥さんが早い時間に帰ってきた。
近所で車に衝突され飛ばされ救急車で運ばれてきた、と唐突に話される。
寝ていたため、すぐに状況を飲み込めず。
病院でレントゲンを撮ったが、ミラーにぶつかっただけで幸いかすり傷程度で済んだようだ。その後、歩いて警察に行って事故処理の手続きして帰宅してきたらしい。
ケガが軽くて何より、ホッとする。
と同時に、変な話だが、奥さんの報告を聞いて心から心配できた自分に、同じくらいホッとした。こういうとき、ホントの気持ちがわかるもの。無事で何より。

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2008年5月24日

ちょっといいカメラ

Dsc_0016 子どもの小学校の運動会。天気予報は完全に雨だったので中止の腹づもりでいたのに、子どもが自ら作った逆さてるてる坊主のおかげか、午前7時には決行を告げる近所迷惑は花火の音が。起きると雨が降ってる気配も全くない。それどころか、途中陽差しさえ出てきた。おかげでほんのりではあるが日焼け。そして、去年と同じく、ほんの少し日光に当たっただけで首の回りに蕁麻疹が出る。ネットで調べてみると「日光じんましん」と言うらしい。普段どんだけ屋内にいるかっちゅうことだ!なさけない!
今年は、いつもよりちょっといいカメラで我が子の勇姿を撮ってた。と言っても借り物だが…。
そんなカメラを持ってみて初めて意識したが、運動会でのいいカメラ率はかなり高かった。中には、アイドルおたくまがいの超望遠レンズを備えたプロ並みのお父さんもいた。学校に雇われた専属のカメラマンが何気なくライバル視していた。
家に帰って、さっそくいいカメラの成果を確認。やはり臨場感に引き寄せられる。ちょっとクセになりそう。

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2008年4月21日

SRC?

奥さんが唐突にこう聞いてきた。
「SRCって知ってる?」
さすがにすぐには答えられなかった。
「何それ?」と見ると、手元に見たことあるような百円ライター大の細長いスティック状のものを持っている。
先の方はが平ぺったい形状で、断面は真ん中から上下半分に仕切られている。
文字で説明するには難しいが、どう見てもそれはUSBのメモリスティックだ。
自信を持って言い返してみる。
「それUSBじゃないの?」
「あ、USBって言うんだ」
Sしか合ってないが、もはや1つも合ってないと言ってもいいくらいのいい加減さだ。
一体どこから「SRC」とインプットされてしまったのか?
一応、「SRC」とはどういうものかを検索してみた。
鉄骨鉄筋コンクリートとか、IT関連の企業名とか、遠くはないけど近くもない。
残念ながらいいオチの付くような結果は出てこなかった。
ふと、考えた。
USBってどのくらい浸透してるんだろう。
パソコンを使ってる人ならだいたいは知っている。
それでも、まだうちの奥さんのように知らない人がいるのも事実だ。
パソコンを持ってない人はどのくらいいるんだろう?
インターネットを未だにやったことのない人はどれくらいいるんだろう?
もはや、この時代インターネットくらいやってて当たり前だろうと思っていたが、
そうでもない人が結構いるのではないかと思えてきた。
そういえばすぐ身近にも、仕事の発注のやりとりをメールではなく
FAXでしか出来ない人たちもいる。
まだ、VHSテープで録画してる人もいる。
その人たちが、FAXやVHSを使わなくなるとき、ぜひ立ち会いたいものだ。
それにしても、アルファベット3文字に略されるものが多いなあ。

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