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2012年11月13日

どうやら自然体らしい

Photo 先日、ひょんな事から東京にいる同窓生数人に会った。

場所は、六本木のミッドタウンという都会のど真ん中のすぐそばにある小さな居酒屋。
店の人もまた同郷の人だという。
それこそ30年ぶりという再会。
それだけブランクがあるとちょっと緊張してしまうものだが、顔を見た途端そんな心配は無用だった気づく。
同級生とは不思議なものだ。
見た目も、多少は年輪を重ねてはいるが、さほど変わりはない。
制服姿がすぐに甦る。
女性ばかりでちょっとしたハーレム状態だった。
だからだと思うが、席に着くと、近況報告もそこそこに、ものすごいスピードで話が始まった。強引に10代の頃に引き戻されていく。
それについていくのが精一杯だった。
驚いたことに、自分の記憶力はかなり劣ってるようだ。
話の端々に昔のクラスメートたちのあだ名が次々と出てくるのだが、どれもこれも思い出せない。聞いたことはあるのだが顔が浮かんでこない。
女性陣は、昨日の事のように話している。
果たして、自分は高校時代ちゃんと友達がいたのかとさえ不安になってしまった。
彼女のたちの話によると、自分はどうやら〝自然体〟らしい。
今も昔も変わらず〝自然体〟だと言われた。
ま、確かに流れに身を任せてここまでやってきたというところはある。
自分から動くとうまくいかなかった事も多い。
だが、自分で自然体なんて思った事なんてない。
ジャングルで暮らしているならまだわかるが、一応東京で長いこと暮らしてきて、それなりに厳しい戦いを戦い抜いてきた、と思っている。自分では…。
が、端から見たらそんな風に見えるんだろう。
確かに自然体の人間というのは、癒やしの存在でいいのかもしれない。
でも、それは仲間内の間だけの話。
父親や夫としては、これ以上頼りないものはないと自分でも思う。
それが〝自然体〟の正体です。
それにしても、懐かしい話が溢れでてきて止まらなかった。
同級生の会話はいいもんだ。
「○○君が、あの調子で言ったのよ」
この一言で大爆笑になる。
「あの調子で〜」で話がわかるのは、なんとも素晴らしい事だ。
変わらないのは自分だけではなかった。
久しぶりに会ってわかったことは、人間の佇まいや生き方というのはそう変わらないということだ。
みなそれぞれ、昔のままで現在を生きている。
そう思うと勇気づけられ、微笑ましい気分になる。
当たり前だが、同級生は同じ時間を生きてきている。
すでに50年、少し話を聞けば泣き出してしまうような事も、2つや3つ経験しているだろう。(自分にもあると思っているのだが)
だが、そんな事は関係なく、ただただ昔話で腹の底から笑える。
それでいいんじゃないかと思う。
そういえば、高校以来のあだ名で呼ばれた。
「うんちむら」
自分でも忘れていた。
今だったら、確実にいじめの対象だ。
それでも、そう呼ばれて当時何も感じなかったのは、やはり〝自然体〟のなせる技かもしれない。
また、機会があれば会いましょう。

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2012年11月 7日

80年代という昔

80年代に流行ったものが再び持てはやされたりしているが、

自分らの世代にとっては80年代はやはり輝かしい時代だったと思っている。
バブル景気の只中で確かに派手な時代であり、
文化や娯楽も勢いがあったと思う。
その頃はまだ駆け出しの作家で、自分でお金を出すことも少なく、好景気の恩恵を充分に受けた。
あの頃の華やかな話をすると、下の世代に嫌がられるのが常だが、
今でも語り継がれるすごい時代だったと思っている。
しかし、今から数えればすでに30年も前の話である。
80年代生まれの人たちにとっては、一昔前の話ではない。大昔だ。
我々にとっては50年代に当たることになる。
そんな時代の事は当たり前だが、何一つ覚えていない。
何を言ってもピンとくるはずがない。
だが、果たして今の20代30代は、90年代がいい時代だった、いや2000年代もいい時代だったと思うのだろうか。
少なくとも閉塞感をずっと味わっていたんだと思う。
それでもやはり10代、20代を過ごしたいい時代だったと感じるものだろうか。
何を言いたいか、わかってもらえてるだろうか。
80年代後期、週末の青山通りは明け方4時にならないとタクシーが捕まらなかった。逆方向なんて絶対に行ってくれなかったし、ワンメーターしか乗らないと怒れたりした。運転手天国の時代だった。
それはそれで楽しかったのだが、
そう考えると、よかったのか悪かったのかよくわからない。

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