どうやら自然体らしい
場所は、六本木のミッドタウンという都会のど真ん中のすぐそばにある小さな居酒屋。
店の人もまた同郷の人だという。
それこそ30年ぶりという再会。
それだけブランクがあるとちょっと緊張してしまうものだが、顔を見た途端そんな心配は無用だった気づく。
同級生とは不思議なものだ。
見た目も、多少は年輪を重ねてはいるが、さほど変わりはない。
制服姿がすぐに甦る。
女性ばかりでちょっとしたハーレム状態だった。
だからだと思うが、席に着くと、近況報告もそこそこに、ものすごいスピードで話が始まった。強引に10代の頃に引き戻されていく。
それについていくのが精一杯だった。
驚いたことに、自分の記憶力はかなり劣ってるようだ。
話の端々に昔のクラスメートたちのあだ名が次々と出てくるのだが、どれもこれも思い出せない。聞いたことはあるのだが顔が浮かんでこない。
女性陣は、昨日の事のように話している。
果たして、自分は高校時代ちゃんと友達がいたのかとさえ不安になってしまった。
彼女のたちの話によると、自分はどうやら〝自然体〟らしい。
今も昔も変わらず〝自然体〟だと言われた。
ま、確かに流れに身を任せてここまでやってきたというところはある。
自分から動くとうまくいかなかった事も多い。
だが、自分で自然体なんて思った事なんてない。
ジャングルで暮らしているならまだわかるが、一応東京で長いこと暮らしてきて、それなりに厳しい戦いを戦い抜いてきた、と思っている。自分では…。
が、端から見たらそんな風に見えるんだろう。
確かに自然体の人間というのは、癒やしの存在でいいのかもしれない。
でも、それは仲間内の間だけの話。
父親や夫としては、これ以上頼りないものはないと自分でも思う。
それが〝自然体〟の正体です。
それにしても、懐かしい話が溢れでてきて止まらなかった。
同級生の会話はいいもんだ。
「○○君が、あの調子で言ったのよ」
この一言で大爆笑になる。
「あの調子で〜」で話がわかるのは、なんとも素晴らしい事だ。
変わらないのは自分だけではなかった。
久しぶりに会ってわかったことは、人間の佇まいや生き方というのはそう変わらないということだ。
みなそれぞれ、昔のままで現在を生きている。
そう思うと勇気づけられ、微笑ましい気分になる。
当たり前だが、同級生は同じ時間を生きてきている。
すでに50年、少し話を聞けば泣き出してしまうような事も、2つや3つ経験しているだろう。(自分にもあると思っているのだが)
だが、そんな事は関係なく、ただただ昔話で腹の底から笑える。
それでいいんじゃないかと思う。
そういえば、高校以来のあだ名で呼ばれた。
「うんちむら」
自分でも忘れていた。
今だったら、確実にいじめの対象だ。
それでも、そう呼ばれて当時何も感じなかったのは、やはり〝自然体〟のなせる技かもしれない。
また、機会があれば会いましょう。
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