人生とやらを考えるようになる
生活環境が変わる4月だからだろう。ここ最近進路に悩む若者からの相談が相次いだ。
どれも放送作家になりたい夢をあきらめきれず上京しようと思っているという20代の若者からだ。
1人は、この春から就職も決まっていたのに、結局それを断って上京を決断したらしい。
こういう相談をされると、どう答えていいかいつも本当に悩む。
自分の場合は、放送作家という職業があるとも知らず、何も考えずにただ面白そうだからと気づいたらなっていた。なりたいと思ってようやくなったわけでもなく、26才まで将来を具体的に考えてもいなかったし、今も奇跡が続いていると思っていて、参考にならなくて本当に申し訳なく思う。
しかし、その人にとっては一生を左右する問題。自分にも少なからずその年齢特有の目の前に霧がかかったような気持ちはわかる。
相談を受けるといつも、進めることもやめときなさいということも言わない。
放送作家の仕事のメリットとデメリットを経験上正直に言うことにしている。
当然だが、最後は自分で決めるしかない。
結局、相談して来た若者たちは皆、夢に向かって進むと決断したようだ。
成功する保証などどこにもないが、それはそれで正しい判断だったと思う。
あとは、夢が見事に叶う事を願うばかりである。
自分に出来る事があれば出来る範囲の事で力になれたらと思う。
当たり前だが人生は1度しかない。
でも、普段それを忘れそうになる事も多い。明日でいいやと先延ばしにしてることが山ほどある。
きっと後になって、もっとあの時充実した毎日を送っていればと後悔するのだろうが、人間はそうは簡単には出来ていない。(特に自分の場合だが)
時々人生をおおらかに過ごしている人のニュースを聞く。
いい年なのにバイクにまたがり世界中を旅してる人がいる。
40代で、離婚を機に自分の人生の全てをオークションで売り払った人が、そのお金で小さな島を買い、旅の途中で女性に出会い、今はその島に2人で住む家を建てる計画中だという。
そういう人は、紛れもなく人生は1度だと誰よりも強く思っているのだろう。
そんなニュースを聞くたび、たしかに心がざわめく。
かといって、今の生活を投げ捨てて飛び込む勇気は毛頭ない。
日本人のおおよそは大学を出て就職して、定年まで働いて。その後の余生でようやく趣味や旅行を始める。
どちらが幸せな人生かは誰にもわからない。
50を目前にすると、こういうことをイヤでも考えるようになる。
1年前、子供の頃から親しかったいとこが亡くなった。
その事も、より考えるようになった一因だ。
幼少の頃からよく遊び、何よりも今の自分の仕事を応援してくれていた。
自分よりも年下で、ショックはかなり大きかった。
数年前から病気と闘っていた事は聞いていた。
それでも、自分が手がけた「エルダーソルジャーズ」という舞台を見に来てくれた時は、見た目も元気そうで、もう大丈夫なんだと思っていた。
亡くなる2週間前、親戚全員で集まったのが最期になったが、みんなと一緒に逢えて本当によかった。
2人の子供の成長を見届けられなかったのは、どんなにか悔しかっただろう。
あれからちょうど一年、あろうことか、今度は彼女の母親、つまり自分からすれば叔母に当たる人が亡くなったという知らせが届いた。
昨年夏の内村光良の1人芝居「東京オリンピック生まれの男」で、1番心に響いたのは、「何も悪い事をしてない人が病気や事故や災害で亡くなり、悪い奴がのさばっていたりする」という何でもないセリフだった。
この世は時に理不尽な事だらけだ。
そんな事が続くと、どうしてもまた考えてしまう。
残された人生、幸運にも生かされてる者として充実した毎日を送らなければと。
しかし、人間とはほとほと愚かなもの、日が経てばその思いも薄らいでいく。
これからも、その都度自分と葛藤しながら、前に進んでい行くしかないのだろう。
あ、今日兄貴の誕生日だ。滅多に言わないが、おめでとう。
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