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2012年3月11日

あの日から

思えばあの日から、〝情報〟というものについて考えさせられている。
SNSの発達によって、随分と助けられた事もあった。
携帯が通じず、家族の無事がわかったのはTwitterのフォロワーのおかげだった。
新しい発信手段によって救われた場面も多かっただろう、だが、あの混乱の中で、正直、情報に惑わされたことも多かった。
いわゆるデマに釣られて、そのまま拡散してしまったことも何度もあった。
そのたびに落胆するのだが、原因は情報元を確かめもせず拡散した自分が悪いのだ。
そんな事が幾度か続いてると、回ってくる情報に関して、正誤に関わらずまず疑いの念を持つようになってしまった。
極端な言い方だが、公式なデマというのも耳にするようになった。
「○○は安全」という権威ある人の発言が飛び交う。
それを聞いて安心していたのに、しかし、それが全くのデマだという。
日本で最高峰に位置する専門機関で長年研究している人たちの発言も聞いた。
すると今度は、それさえも正しくないという発言も耳に入ってくる。
さらに、政府が公式に発表したことでさえ真実ではなかったとわかる。
すべて本当の事を言っているとは思っていなかったが、まさか、こんな事態の時に、国や政府の発表が間違っているとは想像だにしなかった。
国のトップの言うことを、疑たっりはしない。まずは信用してきた。
怒りを感じるが、だがそれも、これまでほぼ100%近く信用してきた自分たちが悪いということになるのだろう。

その頃から、もう何が正しくて正しくないのか自分でわからなくなってきた。
有益な情報だと言われてもどこか疑ってかかるようになっていた。
すると今度は、情報が正しいかどうかは自分で判断するようにしよう、と言われ始めた。
たしかに、それしか方法はない。
しかし、どうやってそれが正しいかのどうかを知ればいいんだ、とずっと思っていた。
自分が信用している人が言ってる事なら、正しいと思っていいのか。
でも、もしかしたら、その人が言ってることも決して正しいとは言えないかもしれない。国のトップでさえ間違った事を言っているのだから。
一体、何を基準に判断すればいいのか。
専門的な知識をとことん勉強して判断すればいいのか。誰もそんな時間はないはず。
映画や芝居が面白いかどうかは、自分で見て判断出来るが、専門的な知識のないものに対して、何を持ってどう判断すればいいのか。
それさえもわからなくなってきた。
あれから、正しさについてよく考えるようになった気がする。


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コメント

目に見えないものや自分が全く知識のないことに関するものの情報は鵜呑みにしてしまいがちですが、何が正しくて何が間違っているのか、山のような情報の中で自分自身がどれを選びどれを信じていくのかを選択する力をつけておくことの大切さを感じますねdown
大人ですらまともに判断できないのに、子どもにどうやってその力をつけさせたら良いのだろうかと思いますbearing

投稿: そら | 2012年3月20日 13時47分

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