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2012年3月28日

6回目の春

娘が小学校を卒業した。
6年前の春、ちょうど桜が満開の中、入学式に向かった。
教室に入って自分の席に着き名前を呼ばれて返事をする。タダそれだけの事に胸が熱くなった。
小学校までは自宅から直線で300メートほど、目をつむっても行ける距離だったが、最初の頃は心配で仕方なかった。
3年生までは学童保育にお世話になった。
ここでかなり集団生活というものを学んだと思う。
そして、4年生からは習っていたピアノもバレエもすっぱりと辞め、塾に通い始め中学受験に挑んだ。
あっという間の6年間。
入学式の頃の写真を見るとまだ歯が生えそろってない、身長も自分のヘソくらいまでしかなかったのが、今では肩の位置まで伸びてきた。時々後ろ姿を母親と間違うようになってきた。
体より大きかったランドセルも、6年生になると窮屈そうに見えた。
いつの間にか大きくなったのものだと思っていたが、
卒業式の数日前にわかったことがある。
ランドセルの背負う部分のベルトを6年間一切調節してなかった。
どうりで窮屈そうに見えたわけだ。
娘の性格をよく表してる出来事だ。
そして、これからまだまだ大きくなっていく。


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2012年3月20日

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■すべての始まりだった同居生活
「ある夏の暑い日の事だった。ドアを叩く音がするので出てみると、全身白のスーツにパナマ帽をかぶった小さな男が立っていた。「ウッチャンいますか?」
出川哲朗と名乗るその男は、裸に白のジャケットを羽織っただけだった……」

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2012年3月11日

あの日から

思えばあの日から、〝情報〟というものについて考えさせられている。
SNSの発達によって、随分と助けられた事もあった。
携帯が通じず、家族の無事がわかったのはTwitterのフォロワーのおかげだった。
新しい発信手段によって救われた場面も多かっただろう、だが、あの混乱の中で、正直、情報に惑わされたことも多かった。
いわゆるデマに釣られて、そのまま拡散してしまったことも何度もあった。
そのたびに落胆するのだが、原因は情報元を確かめもせず拡散した自分が悪いのだ。
そんな事が幾度か続いてると、回ってくる情報に関して、正誤に関わらずまず疑いの念を持つようになってしまった。
極端な言い方だが、公式なデマというのも耳にするようになった。
「○○は安全」という権威ある人の発言が飛び交う。
それを聞いて安心していたのに、しかし、それが全くのデマだという。
日本で最高峰に位置する専門機関で長年研究している人たちの発言も聞いた。
すると今度は、それさえも正しくないという発言も耳に入ってくる。
さらに、政府が公式に発表したことでさえ真実ではなかったとわかる。
すべて本当の事を言っているとは思っていなかったが、まさか、こんな事態の時に、国や政府の発表が間違っているとは想像だにしなかった。
国のトップの言うことを、疑たっりはしない。まずは信用してきた。
怒りを感じるが、だがそれも、これまでほぼ100%近く信用してきた自分たちが悪いということになるのだろう。

その頃から、もう何が正しくて正しくないのか自分でわからなくなってきた。
有益な情報だと言われてもどこか疑ってかかるようになっていた。
すると今度は、情報が正しいかどうかは自分で判断するようにしよう、と言われ始めた。
たしかに、それしか方法はない。
しかし、どうやってそれが正しいかのどうかを知ればいいんだ、とずっと思っていた。
自分が信用している人が言ってる事なら、正しいと思っていいのか。
でも、もしかしたら、その人が言ってることも決して正しいとは言えないかもしれない。国のトップでさえ間違った事を言っているのだから。
一体、何を基準に判断すればいいのか。
専門的な知識をとことん勉強して判断すればいいのか。誰もそんな時間はないはず。
映画や芝居が面白いかどうかは、自分で見て判断出来るが、専門的な知識のないものに対して、何を持ってどう判断すればいいのか。
それさえもわからなくなってきた。
あれから、正しさについてよく考えるようになった気がする。


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2012年3月 9日

3月9日

3月9日になると、やはりレミオロメンの曲を聞きたくなってしまう。
あちこちのラジオでもよくかかっていた。
一年前の今日も聞いていた。
ちょうど「東京オリンピック生まれの男」の本番を間近に控え、稽古場に顔を出しに向かってる時に聞いていたのをよく覚えてる。
数日後、まさか、その公演が延期になってしまう事態になるとは思ってなかった。
あれからもう一年か。
昨年はこんなに寒かったっけ。
にしても、レミオロメンの曲が聞けなくなるのは淋しいなあ。
今年の桜はいつ咲くのだろうか。

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2012年3月 6日

「ヤングアダルト」

「ヤングアダルト」という映画を観た。
簡単に説明すると、現状がうまく行っていない女性主人公がかつてマドンナと言われていた故郷へ帰り過去に執着する話。
地方出身者なら誰でもこういうこと思った事があるんじゃないだろうか。
地方出身者あるある。
故郷に久しぶりに帰ってきたものと、ずっとそこで暮らしてるものとのギャップが描かれているのだが、自分もかつて若くて調子に乗って頃は、正直に言うけど、田舎で暮らしてる者をどこかバカにしているようなところがあった。何が楽しいのかと。
しかし、それは甚だ失礼な事だ。
見た目にはそんなに変わらないけれど、地元の街にも時間が流れ日々変化していっているのは当たり前のこと。都合のいいときにだけ帰ってきて「ここは全然変わんねえなあ」なんて言うのは、その街を捨てて出ていった者には許される事ではない。
温かく迎え入れてくれる事のありがたさを感じなければいけない。
まあでも、そんな事がわかるようになったのもかなり年を取ってからだ。
だからこそ、地元のために何か恩返しがしたいという思いに駆られる。

主人公が37才の女性だというのもよかった。
男のこういう話はいくつもあった。
ひと昔前だと、28,9才が人生に迷う年齢として描かれたが、37才というのが今っぽいのかもしれない。

この映画を観ていて思った事がある。
最近自分の周りにも、40を前にしていろいろ考え悩んでいる人たちが多いようだ。
サラリーマンなら入社して約15年、そろそろ先が見えてきてふと考えるのかもしれない。
女性の場合は、偏見を恐れず言うと、もう一つ肉体的なリミットという大きな問題があり大変だと思う。
寿命が延び身体的にも大きく進化したとは言え、高齢出産のリスクはまだまだ高いのではないか。
これに関しては、男にも責任があるとは思うが、結局体を張るのは女性の方だ。悩んだりしてる人を見るたび、自分なんかが考えても仕方ないことだが、無力さを感じる。
医学の進歩で何とかしてあげて欲しいと願うばかり。

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