« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月28日

酒が飲めないのは悪い事なのか

「球磨焼酎」という米焼酎の産地として有名な場所で育った。
なので、子供の頃からどこの家にも一升瓶が置いてあり、年がら年中何かにつけて大人たちが焼酎を酌み交わす姿を見て育ってきた。
我が家も例外なく、大酒飲みの父親が嬉しい事があると小学生の自分にも焼酎を注いでいた。
なのに、自分は酒が飲めない。大人になって体質が変わって飲めるようになるひともいるというが、未だに全く飲めない。おそらく母親の方の体質を受け継いだのだろう。
ビールコップ1杯くらいで真っ赤になり、気持ちよくなる前に気持ち悪くなってしまう。
学生の頃も何とかごまかしながら飲み会にも付き合っていた。

酒が飲めないと、いろいろめんどくさい。
いわゆる飲み会に行くと、必ずウーロン茶を頼む。
するとその度に「車ですか?」「いや」「体調悪いんですか?」「いや」「飲めないんですか?」「うん」
いちいちこのやりとりをしなきゃならない、
そして必ず「人生損してるわあ」的な目で見られるのだ。
酒が好きな人からすれば、信じられないのだろうが、
いい加減にそっとしておいてくれないだろうか。
酒が飲めないのがそんなにいけないことなのだろうか?
だからだと思うが、酔っ払いが嫌いだ。
まだ楽しく笑わせてくれる人はいい。
でも、たいがいは同じ事を何度も言い始めからんでくる。
目が合うと「お前、全然飲んでねえじゃねえか」と大声で指摘してくる。
今では少なくなったが、ビール瓶を持って注ごうとした状態で「ああ、重たいよ〜」みたいなことを言う輩もいた。
1度、真剣な相談に乗ってあげたら、次の日、何にも覚えてなかったといった奴がいて、それ以来酔っ払いの言動は信用しないようになった。
コントのネタにもしたが、飲み会の割り勘で酒を飲んだ人と同額というのはどうも腑に落ちない。
田舎に行くと、酒が飲めない奴は腹を割って話さないからどこか信用出来ない、という風潮さえいまだある。どう考えても損してる場面が多いのだ。

とはいえ、どこかで憧れてるところはあるのも事実。
1度でいいから、記憶を無くすぐらい飲んでみたいと思っているのだ。
「あれは酒の席だから」みたいな言い訳もしてみたい。
オシャレなバーやイタリアンに行って、ウーロン茶だのジンジャエールだの注文するのはどこか恥ずかしいものなんだ。
この年になったら、行きつけの隠れ家的なバーの一軒くらい知っておきたいと思う。
そんな場所に行って、ウーロン茶的なものではなく、下戸でもカッコのつく飲み物ってないものだろうか?



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012年2月21日

メールマガジン最新号配信!「ダウンタウンを初めて見た日」

内村宏幸メールマガジン「スマートマッチョライフ」最新号配信しました!

■ダウンタウンを初めて見た日
「やがて、本番が始まり、ダウンタウンがネタをやる時になると、楽屋にいた他の出演者のほとんどが、客席に回り舞台上のダウンタウンに見入っていた〜」

詳しくはこちらで→http://theory.ne.jp/h-uchimura



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月20日

サイン入り

Photo_2 もう昨年のことになるが、サラリーマンNEOに出演してる中田有紀さんからフォトエッセイをいただいた。
しかも、貴重なサイン入り。
これは自慢しよう。
ここで宣伝するまでもなく売れてるとは思うが、
よければ一家に一冊!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月13日

将来、役に立つこととは?

受験が終わり、わが娘は鬱憤を晴らすかのように毎日遊びまくっている。 大いに結構だと思う。それがそもそも小学生の自然の姿だと。 以前にも触れたが、試験問題というのは恐ろしく難しく、小学生が解くレベルとはとても思えない。 特に算数は、ちらっと問題集を覗いたが、問題分の意味さえわからない。極力娘に質問されないように過ごしていた。 かねがね思っていることだが、体積の求め方が大人になって役に立ったことがあるだろうか?人間関係で悩んでいるとき、2次方程式が何かヒントになっただろうか? 元来文系脳だった自分は、特に算数は問題を読んだだけで脳がシャットダウンしていた。 「まさお君は、午前8時に家を出て時速2キロで歩いて行き、お兄ちゃんのしげる君は、15分後に時速5キロで~」みたいな問題があると、必ず「兄弟なんだから仲良く一緒に行けよ」と、いつも思っていた。 国語の問題でもそうだ。 「文中の線が引かれてる部分で、作者が言いたかったことは何か?」という問題も、いつも疑問に思っていた。 そんなもん作者本人じゃなきゃわかるわけないじゃないか!なのに正解がある。 文を読んで感じる事なんて人それぞれ、全部正解でいいじゃないかと強く思っっていた。 一度そのことを先生に質問してみたことがあるが、うまくごまかされた記憶がある。 国語で満点を取る奴はどこか信用できなかった。 まあ、でも教科書に載ってる事も学んでいかなきゃいけないのだ。これから中学生になる子たちには。 昔習ったことで今も覚えてる事がほんとに学んでよかったことなんだと思う。 できれば何かの役に立ってほしい。 そしてできれば、感じ方は人それぞれ違うということを学んでほしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年2月 7日

ただただ見とれてしまう映像美

アリゾナ州の1年間を綴った映像だそうです。

Landscapes: Volume One from Dustin Farrell on Vimeo.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月 6日

戦いは終わった、平穏な日々が戻る

娘の中学受験がようやく終わった。結果、どうにか志望した学校に合格する事が出来て、本人はもちろん、親としてもホッと胸をなでおろした。
思えば4年生になった頃から塾に通い始め、一番遊びたい時期に全てを犠牲にして本当にここまでよく頑張って来たと思う。親バカながら感心する。

正直、中学までは近所の区立でいいだろうと思っていたので、受験すると聞いたときはちょっと驚いた。周りの環境の影響もあってか、奥さんが意外にも熱心になり娘につきっきりで受験体制に突入した。
特に反対もしなかったが、日々勉強に打ち込む姿を横目に自分はほとんど関心がなかった。というより、とても手に負えるようなものじゃないかなり高度な問題で何も出来なかった。
イヤだったらいつでもやめていいと娘には言っていたが、本人は嫌がることなく自分の意志で最後までやり通した。

しかし、つくづく日本の受験勉強は、ある意味技術だと思った。いい点数を取ったもん勝ち。その点数を取るための技術を習得したもん勝ちだ。そう痛感した。
そんなものに何の意味があるのか、今の年齢で学ぶべきものは他にもあると思いながらも、具体的に何か提示できるわけもなく、現代の教育体制に真っ向から反発する勇気もなくて、結局は頑張れと見守るしかなかった。
ほとんど他人事で過ごしてきたが、さすがに今年に入って受験日が間近に迫ってくると、こちらも次第に緊張してきて、2,3日前からは胃のあたりがジクジクする感じだった。自分が手がけた舞台の初日を迎えるよりも何倍もの緊張感があった。
そしていよいよ本番の日を迎える。親は落ち着かない気持ちを必死に抑えていたが、本人はいたっていつも通り。まあ、そんなもんだ。

驚いたが、今は、試験を受けたその日にうちにパソコンで結果がわかる。
発表の日、外で仕事をしていたら、時間になって結果を知らせるメールの着信が。
あえて仕事が終わるまで開かずに、一人車に乗って深呼吸をしてゆっくりと開いた。
娘からの文面に、スマイルマークが並んでいた。
思わず「よし!」と、普段滅多に出さない大きな声で叫んでいた。

次の日、念のために奥さんが掲示板を実際に確認しに行った。
合格番号を携帯で写真に撮り待ち受けにしていた。
聞いた話では、その発表会場では悲喜こもごものドラマがあったらしい。
その学校以外絶対行きたくない!と泣き崩れる我が子を慰める母親の姿もあったという。
わずか12才、そんな思いをしなくてはならないのか、これが教育のあるべき姿なのかと、また思う。
しかし、子供は大人が心配するより順応力があるんだろう。
学校に行っても、おそらく教室では、様々な結果を受けて、友達同士お互いに微妙な気遣いもするのだろう。本当に大変だと思う。
親としていろんな感情が交錯する。
とにかく努力すれば報われる事を身を持って体験し、自信にもつながった事はよかつたと思う反面、少しうまく行きすぎて挫折を経験出来なかったとも。ああ、とにかく複雑な心境だ。
でも、まあ、とにかく、ほんとに、無事に終わってホッとした。

それにしても、合格したら次の日まで入学の意志を示さなければ無効になるという取り決めは、なんだかなぁと思う。まあ私学はそれで成り立っているから仕方ないか。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »