マイケルジャクソン「スリラー」25周年記念版をようやく手にした。おそくらR-40くらいの世代にはこのタイトルを聞くだけで心躍るアルバムと言ってもいいだろう。発売日に即買いしたと同級生からメールが届いたから、ソワソワしていた。言うまでもなく世界一売れたアルバムで、現在までに何と1億4千万枚も売れてるらしい。なんだそれ!83年に発売された当時、何もかもが新しかった。「ブルースブラザーズ」を監督したジョン・ランディスが作った短編映画のようなPV。この作品から、ミュージシャンがPVに力を入れるようになり、折しもMTVが開局しPV全盛時代となる。当時、横浜で学生だった自分も、TVK(テレビ神奈川)で金曜の夜中2時半から放送されていたMTVを食い入るように見ていた。そこで、初めてこのスリラーのPVを見て度肝を抜かれる。ふとんに潜り込みながら見ていたあの夜の事は今でも鮮明に覚えている。なにせビデオもなかった時代、オンエアーの瞬間をしっかりと目に焼き付けなければいけなかった。テレビの視聴形態が今とは明らかに違っていた。アルバムもまだLP盤だった。もちろん買う余裕などないビンボー学生だったので、あのエイベックスの創業者がやっていた「友&愛」というレンタルレコードショップで借りて擦り切れるほど聞きまくった。勤勉にバイトをして後輩がビデオを買ったと言うのを聞いて、急に仲良くし始めて毎日のように遊びに行っは、スリラーのPVを見ながら徹マンをやっていたのを思い出す。あの後輩、やっぱ迷惑だったろうなあ。まあ、その分笑いは提供したので許して欲しい。
街ではそこらじゅうでみんながムーンウオークをやっていた。ご多分に漏れず、自分も必死で練習した。いつどこで披露するのかよくわからないがとにかく出来るようになりたかった。PVで着ていた赤のレザージャケットが原宿の竹下通りで山ほど売られていた。そう言えば初来日した時のコンサートにも行った。あの頃のマイケルジャクソンのパフォーマンスは神がかり的に格好良かった。横浜スタジアムのアリーナ席に、途中から雨が降り始めたが全然気にならなかった。そんな25年前。
ほんとに格好良かったのに、あれからのマイケルはどうしたんだろうか?やはり、金がありすぎると人は変わってしまうものなのか。ランド的な物を作りたくなってしまうものなのか?子どもたちに手を差し伸べたくなるものなのか?ミュージシャンとしての才能は素晴らしいものがあるのに、なんで猿とか連れてくるようになったのだろうか。出来れば、もう一度大ヒットするような曲を作って欲しい。この想いは、「TOKIO」をヒットさせた沢田研二と「モニカ」の吉川晃司にもある。どうかもう一度、ど真ん中で勝負したメガヒット曲が生まれる日が来ることを願っている。
とにかく、84年頃は何も先の事は考えてなくて日々楽しかった記憶しかない。その年のヒット曲が入ったカセットテープを未だに持っている。曲順が今でも体にすり込まれている。
というわけで、そんな想いをコントにする事にした。中身の一切ない、ただただバカバカしいだけのコントだ。もしかしたら失敗してオンエアーには至らないかもしれない。でも、やりたいと思った。賛同してくれたスタッフに感謝。明日はその収録、一応出演者は年代の近い人がいるからわかってくれるとは思うのだが、果たしてどうなることやら
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