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2006年4月10日

待ち合わせの才能

携帯電話を持つようになって、待ち合わせ場所を正確に決めなくなった。だいたいの時間に近くまで来たら電話し合う。今は誰でもだいたいその方法だろう。しかし、そこにも才能のあるなしが存在する。たとえば誰かと待ち合わせをして、お互いに近くまで来たところで電話する。
この時、最も有効な方法は、どちらか1人がもう1人のいる場所へ動くこと。お互いに近づこうとすると、その人なりの地理感が邪魔してしまい、なかなかめぐり会えなかったりする。何度待ち合わせしてもうまく出来ない人がいる。自分が今立ってる場所、見えてる風景、向いてる方向などを言い合うのだが、さっぱりどこにいるのかわからない。余り慣れてない場所なら、慣れてる人に従うべきだ。自分の方が詳しいと思ったら、わかりやすい目印のそばで待っててもらう。これが鉄則。しかし、
でも、それでもね、動いちゃう人がいるね。そこにいてねって言ったのにもかかわらず、「こっちの方が見つけやすいんじゃないかと思って」と、5メートルくらいズレた場所で待ってる。その、「よかれと思って」という気持ちが余計出会えなくさせてしまうのに。そこにじっとしてろと言ったら、ぜひじっとしていて欲しい。
それとは対極に、ほんの少しのやりとりだけですぐに出会えちゃう人がいる。イメージを共有できてる感じ。こういうのを、相性がいいというのかも。

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