2012年1月30日

ぐるりよざ

マセキ芸能社所属の芸人で、ホーム・チームというコンビで10年以上活動していたが惜しくも解散してしまい、今はピン芸人として活動中の沖縄出身、与座よしあきの1人になって初めての単独ライブを行った。
コンビ時代の漫才、コントも安定したクオリティがあったが、元々、体の切れが良かくパントマイムも抜群にうまかったが、ピンになってその持ち味を存分に出していて、これまでとは全く違った面白さになっていた。
改めて、お笑いをやるには演技力、体の使い方がうまくないと出来ないと言うことを気づかせてくれた。
中でも目を見張ったのは、アクション映画によくあるカーチェイスのシーンを全く1人だけで演じ分けてくれるものだった。舞台上には一人しかいないのに、スピード感とかそのシーンがまるごと見えてくるから不思議だ。それから、ヘリコプターを作ってる会社の作業員が、作業中に回ってるヘリコプターのハネに何度も頭をぶつけてしまうというパントマイム。これも秀逸。これが芸というものなのだろう。文章ではまるで伝わらないことがどうにももどかしい。
近日中に、映像が見れるようにします。
今年のR−1にも出場するらしい、新たな道を進み始めたことだし、ぜひ頑張って欲しい。
ちなみに、ライブのタイトルの「ぐるりよざ」というのは、実際にある交響曲のタイトルらしい。てっきりふざけた意味合いのものかと思っていた。

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2012年1月20日

メールマガジン最新号配信!「内村光良のストイックさについて」

内村宏幸メールマガジン「スマートマッチョライフ」最新号配信しました!

「内村光良のストイックさについて」
とにかくネタ作りに没頭しているときの彼の集中力というか、周りが見えなくなる様というか、誰もそばに寄せ付けないオーラみたいなものは、ハンパじゃなかった…

続きはこちらで→http://theory.ne.jp/h-uchimura

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2012年1月15日

小学生大爆笑のネタ

PCのフォルダを整理していたら懐かしいものが出てきた。
2007年に母校の小学校で講演みたいなものをさせてもらったのだが、その時に、披露した自作の「コント風桃太郎」の原稿。
当時の様子をこのブログに記したが、全校生徒が大爆笑してくれた。
その反応が本物かどうか試しに子供の小学校での読み聞かせの時間に朗読したが、やはり手応え充分。
まさに小学生には鉄板のネタだ。
その時の事を思い出して嬉しくなったので、ここで公開します。

(※ただし、あくまでも小学生に向けたもので、さらに2007年当時の時事ネタが入っていますので、それを踏まえて読んでください。)

『コント桃太郎』                  作 内村宏幸

むかしむかし、ある所に、子供のいないお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある日、お婆さんは川で洗濯をし ていました。洗濯をしている途中、突然、お婆さんは、「あれ、出かけるとき玄関の鍵はかけて来たかな」と、心配になってきました。するとそこへ、大きな桃 がどんぶらこどんぶらこと流れて来ましたが、お婆さんは鍵のことが心配でそれどころではなく、桃には気づかず、桃は、そのまま流れて行ってしまいました。
とろこが、そこから少し離れた場所で、お婆さんには山に芝刈りに行くと言っていたのに、ほんとはパチンコ屋に行っていたお爺さんが、たまたま通りかかり、流れている桃を発見。無事に家に持ち帰りました。
桃を割ると中から元気な男の子が生まれてきました。2人は大喜び。
お婆さんは、さっそく、「この男の子に桃にちなんだ名前をつけましょうよ、お爺さん」と言いました。
お爺さんは「ようしわかった、じゃ、桃子にしよう、いや桃恵がいいかな」
お婆さんは、ちょっと不思議に思って「お爺さん、この子は、男の子ですよ」
「あ、そうじゃったな、じゃあ、桃山というのはどうだ?」
「お爺さん、それじゃ、苗字みたいじゃないですか」
お爺さんはちょっとムキになってきて、「ああ、わかった!じゃあ、和彦でどうだ」 もはや、桃という字さえ入っていません。
お爺さんには任せておけないと思ったお婆さんは「桃太郎」と名付けて、
その男の子を大事に育てました。
そうしてスクスク育った桃太郎は、鬼ヶ島の鬼が人々を苦しめていることを知り、鬼退治に出発することになりました。
そして、途中で出会った、イヌ、サル、キジに、家来になってくれと頼みました。しかし、イヌは、火曜と木曜は 塾があるので、と言いました。サルは、借りたDVDを今日中に返さなきゃいけないので、そして、キジは、12時までに帰らないと魔法が解けてしまいます。 と、他のおはなしのような事を言って、誰もやる気がありません。
仕方なく、桃太郎は、きびだんごを上げるから頼むよと言うと、
「きびだんごじゃなくて赤福餅がいいな」と、サルが言いました。
「いや、赤福餅は今ちょっと事情があって手に入らないんだ」
「じゃ、白い恋人たち」「それも無理だな」
「じゃ、比内鶏」「それもちょっと…」
「吉兆の…」「ああ、それも!」
「ねえ、どうして、手に入らないの?どれもおいしいのに」
困った桃太郎は「その理由は、帰ってからお父さんとお母さんに聞きなさい」と言ってその場を逃れました。結局、DSの桃太郎電鉄のソフトを上げることでなんとか家来にする事が出来ました。
さっそく一行は鬼ヶ島に向かいました。島に着くと、桃太郎は勇気を持って鬼の大将にこう言いました。「奪った 財宝を取り返してくれ」すると意外にも、鬼の大将は「ああ、すみませんでしたね、どうぞ、持って帰ってください」と、あっさりと言いました。しかし、それ を聞いていた奥さんが、真っ赤な顔で飛んできて、「あんた!何言ってんのよ!勝手に返すなんてあんたが決めんじゃないわよ!」と、ものすごい剣幕で怒りま した。鬼の奥さんは、やはり“鬼嫁”でした。それを見ていた桃太郎一行は、「どこの家庭も一緒だね」としみじみとうなずきました。
鬼の夫婦が揉めている隙に、桃太郎たちは、財宝を取り返して無事に帰り、
その後、幸せに暮らしたとさ。


朗読の仕方にもよりますが、小学生には間違いなく鉄板です。
ご興味のある方、ぜひ試しに使ってみて下さい。
ご一報いただければ幸いです。

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2012年1月11日

頭の中のホテル

最近は受験勉強に没頭してる子供が、いつだったかふと言った事を思い出した。
頭の中にホテルがあって、そのホテルには、友達の部屋、勉強の部屋、テレビの部屋というのがいくつもあり、順番に訪ねていくというのだ。おそらく、頭の中に浮かんでくるものを本人なりに整理してるという事なんだろうが、何とも子供らしい発想で唸ったものだ。
大人になったら、もしかしたらあと2、3年したらもうそういう考えもしないのかもしれない。
頭の中では自由で限りがない。
こういう発想を年を重ねても失わないようにするには何が必要なのだろう。

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2012年1月 7日

12才の戦い

娘が中学受験を体験しようとしている。思ってもみなかったことだ。
九州の片田舎で育ち、中学、高校はほとんどの者たちが1番近い公立の学校に行くのが当たり前だと思っていた。
時代が変わり、環境が変わればライフスタイルも変わってくる。
もうまもなく本番を迎えようとしている。
それはそれは必死になって勉強している。
父親としては、何もしてあげることがなく、ただうまく行くことを祈るのみ。
それでもせめて何かをしてあげたいと、先日、受験する学校に願書を出しに行った。
電車を数回乗り換え一時間以上もかけてようやくたどりついた。
途中、郊外の初めて足を運ぶ駅で、乗り換えのためホームでしばらく待っているとき、なぜだか急に涙がこぼれそうになった。
数週間後、我が子もこのホームで乗り継ぎの電車を待つことになる。きっと当日は、もっと朝早くもっと寒く、周りには無数のライバルたちがいて…、そんな想像をしていたら急に胸が締め付けられてきた。ちょうど「ADELE」の曲を聞いてたから余計にそう感じてしまった。
まだわずか12才で、こんな大きなプレッシャーを受けながら受験会場に向かわなければならないのか、親バカを差し引いても、これは親として間違ってないのかとさえ思えてくる。
自分が12才の頃、こんな事に耐えられただろうかと何度も想像してみるが、それは無理だ。そんなこと考えもしなかったから。何の不安もなく毎日遊んでるだけだったから。

しかし、確かに辛いことではあるが、裏を返せば、今のうちにこういう過酷な経験をしておけばきっと強い人間になるのではないかとも思う。
子供に負けないように自分も戦っていかなければとも思う。

とにかく、周りの状況に飲まれず力を出し切って欲しい。
そして、何とか報われるように。
今はそう願うばかり。

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2012年1月 4日

メールマガジン配信開始!

メールマガジンを始めることにしました。
これまで関わってきた番組の裏話や制作秘話、ボツになったコントの解説、キャラクターの作り方など、
その他、皆さんからの質問にもお答えします。
興味ある方はぜひご購読ください。

詳しくは
 ↓
http://theory.ne.jp/h-uchimura

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2012年1月 3日

2011年に観た舞台

2011年、芝居、お笑いライブを含め24本の舞台を観た。
その中で、印象に残った10本。

「柳原可奈子単独ライブ【見せたがり女】」
 7/18@時事通信ホール

「ベッジ・パードン」
 7/22@世田谷パブリックシアター

「奥様お尻をどうぞ」
 8/10@本多劇場

「クレイジーハニー」
 8/11@PARCO劇場

「ナイツ独演会」
 9/3@国立演芸場

「NGワードライフ」
 9/10@天王洲銀河劇場

「入江雅人一人芝居【MY GREATEST HITS】」
 10/28@シブゲキ

「ヴィラ・グランデ 青山」
 11/17@シアタークリエ

「バカリズムライブ【SPORTS】」
 11/19@シアターサンモール

「90ミニッツ」
 12/22@PARCO劇場

(※優劣ではなく観た順番です)

この10本はお金を払う価値のあるものばかり。
1番衝撃を受けたのは、「ヴィラ・グランデ 青山」
三谷さんの作品はほぼ観劇。「90ミニッツ」の時は、
隣のオッサンがずっと周りに聞こえるくらいのイビキをかいていて、ほんと腹立った。

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2011年12月31日

2011自分的重大ニュース

ほぼ8ヶ月このブログを放置状態にしていた。更新しなきゃと思いつつ時はあっという間に流れ、気がつけば今年最後の日。駆け込み的に更新する。

2011年、今年もほんとにいろんな事が起こったが、心の整理がつかないことばかりで気軽に記す事がなかなか出来なかった。
今年やろうと思った事の1つに、50を迎える前に自分の体の気になるところはすべて調べる事だった。
毎年やってる人間ドックはもちろん、長年悩んでいた箇所すべて専門の病院で診てもらった。
その中でも、1番印象に残っているのは、やはり「痔」を切ったことだ。
実は、もうかれこれ10年前から患っていたが急激に悪化することもなくそのままにしておいた。
しかし、時折トイレで出血を伴うようになり何か手を施さねばと思っていた。
そんな矢先、夜中に帰ってきてテレビをつけると、ちょうどNHKの「ためしてガッテン」の再放送で痔の特集をやっていた。これも何かの縁だと、その番組に出ていた先生の病院にお世話になることにした。

まず状態を診てもらうための診察。
経験のあるひとならわかると思うが、この診察も慣れないとなかなかに恥ずかしい。
個室に通され、そこで下を全部脱ぎバスタオルをかけ横を向いてお尻を突き出した状態で先生が来るのを待つ。何も抵抗できない無防備な格好。
やがて先生が現れ、ゴム手袋をした慣れた手つきでこねくり回される。これも慣れないと何とも言えない。状態を診てもらってやはり手術が必要だということになり、血液検査をした2週間後の4月中旬頃、日帰り手術を決行。
当日の朝、まずは起き抜けにすぐ坐薬を2個入れて便を全部出す作業。朝からドキドキ。
それをどうにかクリアし電車で病院へ向かった。
場所は銀座の一等地の雑居ビルの中。
病院に着くとすぐに更衣室に通され手術着に着替える。
ここで、通常の男性用とは逆の、お尻の方に窓が開いている髪パンツを着用させられる。
なるほど、段々と手術のイメージが出来上がってきた。
支度が出来ると、順番で手術室に呼ばれる。
同じ日、他にも同じ手術を受ける人が3,4人いて、驚いたことに若い女性もいる。
みんな悩んでいたんだなと話こそしなかったが共感する。
やがて自分の番になり、手術室へ。
ドアを開けるとまさに手術台が待ち受けている。
そこからは速かった。
流れ作業的に体にいろんな機械を付けられ腕に注射針を刺されうつ伏せに寝かされると、腰の部分が自動的に持ち上がってくる仕掛けになっていて、くの字のポーズになる。同時に針には麻酔薬が流れ、血管を通じて冷たい物が流れてきたなあと思ったら、そこから全く記憶がない。
目が覚めると、どうやって移動したのか別の部屋のベッドに寝ていた。
麻酔がまだ少し効いていて意識はややはっきりしてなかったが、お尻に若干の痛みを感じ、ああ手術が終わったんだと感じた。
一時間ほど体を休めると麻酔も完全に切れ難なく起き上がる事が出来た。
そのまま更衣室に向かい着替えて、もうお会計をして帰り支度。
これが、日帰り手術のいいところなのだろう。
帰りはさすがにタクシーを呼んでもらった。
その日は、大事を取って自宅で横になっていたが、次の日、また病院に行き経過を診てもらう。
最初の排便時が1番痛むと言われ、覚悟していたが、想像を絶する程ではなかった。
翌日から、ドーナツ型のクッションを敷いていたが車の運転も出来た。
そこからは痛みも少しずつ小さくなっていき順調に回復していった。
3ヶ月も経てば完全に良くなった。
10年以上苦しんでいたのがウソのようだ。トイレに行くのも全然気にならない。
思い切ってほんとによかったと思う。
勢いに乗って11月の終わりには大腸内視鏡もやった。こちらも幸いにも異常なし。
全部治ったわけではないが、気になるところはすべて検査した。
痔で悩んでいる方、ヒドくならないうちに恥ずかしいと思わずに病院に行った方がいいです。
相談に乗ります。

というわけで、久々のブログ更新がこんな話題だが、どうしても今年中に記録として書いておきたかった。
来年は、頑張って何とか更新するつもり。
では、今年もあと30分。
皆さん、来年がよい年でありますように!

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2011年4月15日

「サラリーマンNEO」がとうとう映画になる!

Photo_2 ようやく発表出来るときが来た。1番始めのパイロット版を放送してから足かけ7年、テレビでの放送も評判となりなんと映画化されることになった。
自分が携わった番組が映画になるなんて…。実は、冗談半分でそうなったらいいですねなどと、ディレクターとも話していた事があるが、まさか実現出来るとは夢にも思わなかった。
ドラマシリーズが映画になることは今では常だが、コント番組の映画化はおそらく史上初だろう。
企画を実現してくれた方々に感謝したい。
映画化に乗り出す話を聞いたのは2年ほど前、そこからコツコツと脚本作りを進めてきた。
途中、頓挫しかけたこともあったが、何とか無事制作発表に漕ぎつけた。
昨日、明治神宮で出演者スタッフが一同に会し、映画制作の安全を祈願をしてお祓いが行われた。
そんなもの今まで経験したこともなかった。これが映画なんだ。とても立派な儀式だった。暖かい陽気で天気も良く、早くもワクワクする。

実は、東京に20年以上住んでいながら明治神宮に来たのは初めてだった。
その壮大さに改めて驚いた。
せっかくということで、一時話題になっていたパワースポット「清正の井戸」を見てきた。
まず、そこに行くのに5百円キッチリ取られる。
一時期のブームはないが、すでに10人くらい並んで、順番が来たら携帯で写真を撮っていく。
誰が始めたということはないのだろうが、それはかなり秩序だった厳かな儀式。
とりあえず待ち受けにしてみる。
映画がうまく行きますように。
まだ何も始まってないのだ。映画は出来上がって公開されるまで何が起こるかわからない。
とにかく無事成功しますように!

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2011年3月28日

その時

その時、東京タワーそばの制作会社のあるビルの五階でで打ち合わせ中だった。
今まで体験したことのない激しい揺れ。
近々に起こったニュージーランドの状況が甦った。くわえて近所のビルは、数年前の耐震問題で偽装が発覚し取り壊されていた。そのことが重なり、テーブルに掴まりながらこのビルも潰れると思った。
長い長い揺れの後、ようやく収まった。幸い建物は耐えてくれた。窓の外の風景もいつもと同じで少し落ちついた。
しかし、今回の事で、自分の危機察知能力というか危機管理能力のなさを痛感した。
真っ先に頭に浮かんだのは、この後の予定をどうしようかと言うことだった。法務局に書類を取りに行く予定だったのでとりあえず行ってみるか、とそんなことを考えていた。
家族の無事やすぐさま家に帰ってみようと言う考えは浮かんでこなかったのだ。
何の根拠もなくきっと無事だと思い込んでいた。
気が動転したのだろうか、改めて考えても驚くばかり。
しばらくして階段を降りて外に出た。
するとそこら中の建物から人があふれ出てきている。異常な光景だった。そこへ2度目の強い揺れ。
見上げるとその辺のビルが音を立てて揺れている。
それを見てようやく事の重大さに気づき始めた。
たまたまその日車を車検に出していたこともあって、一緒に打ち合わせをしていた人が同じ方向だったので、とりあえず車で家まで送ってもらうことにした。
いつも通る道には人が溢れている。公園にも人だらけ。道も渋滞してきている。携帯もさっぱり繋がらない。不安な気持ちがどんどん膨らんできた。
何とか自宅に到着。家族は幸い無事だった。心からホッとする。
あとで知ったのだが、返りながらツイッターで現状を何度かつぶやいていた。
偶然にも同じマンションの方がフォローしてくれていて、自分のつぶやきを見てわざわざ家族に知らせてくれたらしい。ほんとにありがたいことだ。ソーシャルネットワークが確実に役立った。

あれから2週間以上経ったが、未だ不安な状況は続いている。
あの日を境に考え方が少し変わったように思う。たぶん自分だけではないだろう。
何が変わっていくかはまだわからないが。

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